外から見ると日本は一つの民族だと思います。でもそうではありません。歴史的に日本は、他の国も、一つの言葉と一つの文化の上に作られました.一般的に言えば、日本は、多分フランスも、成功をしたり、一つの文化の上に作られて、両国では他の違う文化が見えなくなってきました。他の国は、例えばスペインとか、一つの文化にまとめたかったけれども、結果的に国の中の他の文化とか言葉などがなくならずに残って強くなりました。国を作るところ一緒にできる人もいる、例えばスイスなどのように、違う文化と言葉でも,ドイツ語とフランス語とイタリア語とロマンジュ語話したり、あまり問題ないで、一緒に一つの国を作りました。
現在日本に色々な民族がいる。一番多いのはアジアの他の民族とかアメリカへ移住をした日本人と関係があるグループですけど、世界の他の先進地域に比べて、移民が少ないです。では移民が多すぎると思っている日本人もいる。
国連によって日本で:
- 人種差別と差別はまだ日本でも一般的です
- 日本は20年前に労働者を受け入れ始めたが、まだ移民の権利保護を提供するための法律を採用していない
- 日本政府は移民とその子供たちの人権を保護するための多くの課題に対応していない
- 多くの場合移民の苦情は警察によって、拒否されました
- 移民が差別を受けることなく、住宅、教育、健康の観点から共生できる社会制度作ることが必要
- これまで外国人労働者の保護政策に失敗しました
海外から来ている人が受けている取り扱いを分かるように、見えなくなって、まだいるその文化歴史的に受けた取り扱いを見てみよう。
このプレゼンテーションで三つのグループに関して話したいと思います。そのグループはアイヌと部落民と琉球というグループです。
アイヌ
アイヌというグループは北海道と千島列島とサハリンの土着民です。日本人と混ぜられたから、現在何人がいるか言うのはやや難しいですが、量は2万5千から20万までです。
アイヌは狩りとか魚釣りをしたり、かれらの宗教は自然でした。1300年のころに日本人と始めの接触を受けましたが、1868年の明治維新まで問題が起こりませんでした。1868年に北海道が日本に付加されて、次の36年で地と言葉と宗教と習慣などなくりました。アイヌの地が日本人に取られて、西部スタイルの農場が作られました.日本語を話させて、日本語の名前を使わせると入れ墨の禁止も続きました。そして日本人に「犬」を呼ばれました。
2008年でアイヌ土着民の地位が日本の政府から承認されましたが、その承認は今さら遅いです。そして本当の承認ではなくて、アイヌセンターは札幌から遠くて、田舎でつくりました。だからアイヌは、今日も表には見えなくなっています。
部落民
神道の世界で汚い仕事すると汚いひとです。だから昔から死刑執行人とか、葬儀人とかとか革人とか肉屋人など汚いだと思われて浮浪者にされました。例えば別の寺が使って、東京で路面電車が作られる時に部落民近所は最後でした。
法律的にこの区別は明治維新まで続いて、実は、後でもありました。1859年に裁判官は部落民が普通の日本人の1/7だと言って、今はも西日本の大阪と京都と広島などで起こっていますが、ミデイアではタブーです。1975年に部落民とかれるの家どこだと教えてあった本が作られました。その本はNISSANとかTOYOTAとかHONDAとかDAIHATSUなど会社に使われて、部落民を結ばないようにしました。今日はも使われているのでは思われています。
琉球民族
沖縄の土着民です。1375年から明治維新まで王国でした。17世紀に九州のさつまはんは琉球を制服しましたが、明治維新と、前も見た猛烈な過程を始めました:人の名前が日本語に代わて、教育システム通り日本語を課すされました。
戦争後から1972年まで沖縄はアメリカ合衆国に治められました。その時間の中で琉球語を話せる人はまだ多かったですが、今日は少ないです。1995年にされた調査は沖縄の人の40.6%が自分は琉球人だと思って、21.3%が日本人だと思っているのことがわかります。
最後に私は知っている人について話したいと思いなす。私の友達の話すです、れなさんとパウロさんの話です。れなさんは日本人ですけど、彼女のお父さんは琉球人だから、差別を避けるために子供のころからお母さんの名前を使っています。バスクのパウロさんとれなさん結婚してこたろちゃん生まれました。法律で、パウロさん日本人じゃないので、こたろちゃんには父がいません。後で戦争後から日本で住んでいる韓国人は日本の国民になることができません。全部ひどいことだと思うので、変わることは必要だと思います。
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